インポートはできるけど、エクスポート機能のないエキブロ。うが。


by aisasaki_dash

アリガトウ

 ある母親は、年老いて痴呆が進み、家族の名前さえ言えなくなった。しかし、医師が「今までで一番うれしくてありがたいと思ったことは?」と聞くと、はっきりと答えた。「娘が生まれた時です。うれしかった!ありがたかった!」。それを聞いていた娘さんの目から、どっと涙がほとばしった。「ありがとう、お母さん。そのひと言で十分です」
 そして、自分の子をいつもしかってばかりいたことを反省したそうだ。そうだ、この子が生まれた時、生まれてくれただけで私は幸せだった。それなのに“百点満点の理想の子ども”にこの子を合わせようとしていた。いつも「ここが足りない」「どうしてこんなことができないの」と、そんなお母さんだったのに、子どもは一生懸命こたえようとしてくれていた。
 -本当は子どもが生きていてくれる、そこにいるだけで、お母さんを幸せにしてくれる。ありがとう-。そう思えるようになったという。
 新しい目で子どもを見直すと「ありがとう」「うれしい」の材料にこと欠かない。朝ぎりぎりでも起こせば起きる。それが実はすごいことなんだと感動できる。まがりなりにも字が書け、本も読める。生き物として、不可能を可能にしたといえる。a0029526_218445.jpg
 「ありがとう」は魔法の言葉。その言葉の中には、相手への敬意と自分の謙虚さがある。人生に対する肯定と素直さがある。「有り難い」とは、めったにないことをしてもらったという喜びである。「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている。成長している時には人は他人のすごさが見え、成長が止まると、人の欠点ばかりが目につく。
 「ありがとう」と言える心は健康である。それを言うたびに心は光って生命力もわく。だから子どもも正常に育つのだと思う。
松尾つよし(教育評論家=札幌市在住)

 
北海道新聞コラム「妄言有情」より


新聞の切抜きとともに、母親が写真のように食料を送ってきてくれました。
(北海道新聞のサイトでは出ていなかったので、そのまま転載してます。)
いつもはわざわざそんなことをせずとも…(彼女が一人暮らしを始めた当初は少なくとも自分の方が生活にゆとりがあったので)と思ったものですが、今日のこのタイミングは非常に有りがたく思い、ちょっと泣きそうです。
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by aisasaki_dash | 2004-10-28 21:21 | life